ペットプレイと家畜プレイは似ているようで全然違う。
私はどちらも好きだけど、どちらにするかを決めるのは私。

使用済みの紙オムツを片付けている奴隷とそれを見ている私の写真。
私達にとっては日常的な何気ない瞬間だが、案外マゾの人生における重要な分岐はこういった瞬間に存在する。
たかが紙オムツ。ビニールに包んで密封しようと少し手間取る無防備な奴隷。
振り返った奴隷が見上げる私は、微笑んでいるのか?それとも??
分岐というのは、例えばこうだ。
A,微笑んでいる
あはは、何を手間取ってるの。仕方ない子ね。ま、いっか。笑
→ペットプレイへ進む
B,笑っていない
片付けすら満足に出来ないなんてお前は一体何の役に立つのかしら?
涎で床を汚しオムツに汚物をぶちまけて挙句私を退屈させているのよ?
謝れば許してもらえるとでも?お前まさか自分を人間だと思っているの?厚かましい豚だこと!
→家畜プレイへ進む
C,っていうか居ない
→つまらなすぎたので放置プレイに進む
あくまでも例えだけれど、
要するに気分ね。
何気ない瞬間。私が何を感じるかで、その後のシナリオが決まるのよ。
決めるのは私。でも、それを選ばせたのはお前なの。
SMって面白いよね。