
私は拘束具が好き。
コウノトリを自作するくらいだから、鉄の拘束具や冷たく重たい鎖だとかが大好きなの。
でもだからって縄や緊縛が嫌いってわけでもない。
確かに、理解できない部分もある。
私にとって緊縛は、登山にも似ている気がするの。
どうせ戻って来るのに、何故わざわざ大変な思いをして山に登るのか私には理解が出来ないからだ。
山にさえ登らなければ、山を降りる必要もない。
縄だってそう。縛らなければ解かなくていい。拘束具なら一瞬で拘束出来るのに。って。
でも緊縛と拘束具には共通点もある。
拷問具のコウノトリは、無理な姿勢のまま拘束し、
時間の経過によって全身の筋肉が悲鳴を上げ始めるという一見地味なようでキツイ責め具。
緊縛にもそれに通じる部分がある。
縄をかけられたときは、何ともなかったのに・・・
自分が置かれた状況を理解した時にはもう、手遅れ。
そんなシチュエーションは私の大好物よ。

辛そうね。助けて欲しい?
まだ駄目よ。
せっかく登った山なのよ、頂上についたらゆっくり楽しみたいでしょう?
時折、ギギッ…っと音をたて揺れる苦しそうな奴隷を眺めていると、登山をする人の気持ちが少し解ったような気がした。