フィクションについて思うこと

最近色々なアニメを見ています。
おすすめしてもらった作品を次から次へと見ている感じなんですが、どれもかなり面白い。いくつか作品名を挙げておくと、
【メイドインアビス】
【ヘルシング(OVA版)】
【憂国のモリアーティ】
【ジョジョの奇妙な冒険】などなど
で、特に衝撃を受けたのが
ヴァイオレットエヴァーガーデン】です。

良かった。とっても良かった。
この世の中、アニメ界にこんなにも美しい物語があるのかと衝撃を受けました。こんな素晴らしい作品があるのに世の中が平和じゃないのは何故なんだろうかと本気で考えてしまう程に、この物語は素晴らしかったです。思えば、人間にはフィクションが必要だと思うんですよ。

例えば、子どもの頃ってフィクションの世界を生きていると思うんですよね。親だったり周囲の大人たちが作る優しい嘘の世界。その優しい嘘をどれだけ信じられるかによって、その人の自己肯定感や自信の強さが決まると思うんです。勿論、実際の現実は優しくはないので、いつかはそのギャップに正面から殴られる日は来るのですが、それでもその人のベースになる強さは幼少期のフィクションの中で培われたものだと思います。
宗教も私から見ると同じです。悪い事をすれば地獄に落ちる、良い事をすれば天国に行ける、なんていうのもフィクションだと思いますが、それを信じる事で正しくありたいとする意志が保たれるのなら必要な物だろうと思います。

事実や現実なんて美しくも無ければ案外質素な物なんですよね。そんな世の中を生きるために、人には美しいフィクションが必要なんだと思います。誰だって美しくありたい。でも綺麗なままで生きていけるほど現実は簡単じゃない。私はフィクションこそが人の本質なんじゃないかなと思っています。

それはそうと、久しぶりのブログになってしまいました。
色んな事がいっぱいありすぎて書ききれません。

先日のプレイ中のこと。とあるマゾが“セルフSMプレイ”の話をしていました。
方法は様々ですが自分で自分を縛ったり、洗濯ばさみ同士を紐で繋げた物を作り、自分の乳首に挟んだうえで紐を口で引っ張るとか・・・wセルフには失敗がつきものですが、何かトラブルになった時に助けてくれる者はいないので割と命がけで危ない橋を渡っている事もあるようです。だから当然ですが、失敗談の方が多いんですよね。

でも、それを聞いて同じマゾ仲間?や普通の人たちから「可哀相」だとか同情される事に本人は違和感を覚えます。
『自分は良い話だと思ってるんですけど、どうして慰められるんですかね?』
あはは。それはごもっとも。
『追い詰められたら焦るんですけど、それが面白いんですよね!』とのこと。

確かにはたから見ればお前たちは“可哀相な人”なのかもしれない。
人権を取り上げられ、無残に、惨めに踏みにじられて血と汗にまみれている。床に這いつくばって今日もまた私に寿命を削られる運命。

『え?寿命ですか?僕は逆に延びてる気がしますけどね?』

こんなにも可哀相で、けれども幸福な者はやっぱりマイノリティだよなあと思いました。

岡山県岡山市・本格SMクラブ SM倶楽部 深月-mizuki- 所属 女王様,奴隷,主従,調教,鞭,ケイン,身体改造,拷問,監禁,呼吸管理,ペット,CBT… タフで好奇心旺盛なマゾが好き♡ プレイのお問い合わせはオフィシャルサイトへお願いします
Back To Top